偉人の名言

 ゲームと云うものは、本来、女子供の遊ぶもので、いわゆる利口な大人が目の色を変えて遊び、しかもそのプレイ感を卓を叩いて論じ合うと云うような性質のものではないのであります。ゲームを遊んで、襟(えり)を正しただの、頭を下げただのと云っている人は、それが冗談ならばまた面白い話柄でもありましょうが、事実そのような振舞いを致したならば、それは狂人の仕草と申さなければなりますまい。たとえば家庭に於いても女房がゲームを遊び、亭主が仕事に出掛ける前に鏡に向ってネクタイを結びながら、この頃どんなゲームが面白いんだいと聞き、女房答えて、Blizzardの「World of Warcraft」が面白かったわ。亭主、チョッキのボタンをはめながら、どんな筋だいと、馬鹿にしきったような口調で訊(たず)ねる。女房、俄(にわ)かに上気し、そのゲームを縷々(るる)と述べ、自らの説明に感激しむせび泣く。亭主、上衣を着て、ふむ、それは面白そうだ。そうして、その働きのある亭主は仕事に出掛け、夜は或るサロンに出席し、曰(いわ)く、この頃のゲームではやはり、Blizzardの「World of Warcraft」に限るようですな。
 ゲームと云うものは、そのように情無いもので、実は、婦女子をだませばそれで大成功。その婦女子をだます手も、色々ありまして、或(ある)いは謹厳を装い、或いは美貌(キャラ)をほのめかし、あるいは名門の出(ディベロッパ的意味で)だと偽り、或いはろくでもない学識を総ざらいにひけらかし、或いは我が家の不幸(廃人になったこと)を恥も外聞も無く発表し、以て婦人のシンパシーを買わんとする意図明々白々なるにかかわらず、評論家と云う馬鹿者がありまして、それを捧げ奉り、また自分の飯の種にしているようですから、呆れるじゃありませんか。
太宰治